演奏に変に力を込めると、お客さんの反応は悪くなります。
演奏している側からすると、一生懸命やって何が悪いんだ!と思うかもしれませんが、客の立場になってみると理解できると思います。
単純に押し付けがましく感じてしまう
落語を見に行ったことある人はわかると思いますが、冒頭のマクラと呼ばれる部分は、上手な人ほど、力を抜いて喋ります。すると、見ている方は、スーッと演者に集中してしまうのです。
このことについて、以前メルマガで書いたところ、サウンドヒーラーの方からこういう感想を頂きました。
——————
”演奏に感情をこめるな”のメルマガ読みました
↓この部分
↓特に「うんうん」うなずきながら
↓読みました
自分の楽器としての身体のポテンシャルを十二分に引き出す事が大切になります。
↑というのは今回の日本滞在でシンギング・リンを演奏する時いかに自分がピュアな状態であるか
というのを一番にしていたからです
自分が楽器を奏でる場合は楽器の持つポテンシャルをもっとも引き出す(ひょうげんできる)自分であることみたいな
「こんなことを披露してやろう」とか
「ねぇねぇすごいでしょ~」
「ここを聴いて!!」
という私側のおしつけではなく^^
この方の演奏がうまくいったであろうことは、容易に想像できます
特に民俗音楽の場合、下手に感情を入れると、曲の中に、せっかく先人たちが込めた工夫や知恵や効果が消えてしまう事が多々あります
長く歌い継がれてきた曲ほど、聞いている人の心を動かす、普遍的で効果的な工夫がたくさん込められています。
なので、演者は、下手に自分の感情を入れるより、ちゃんとその曲を演奏するために、自分の楽器としての身体のポテンシャルを十二分に引き出す事が大切になります。
ポテンシャルを十二分に引き出すには、身体への集中が大きなポイントです。
身体への集中が必要なのには、もう一つの理由があります。
それは、伝統的な民俗音楽は、その民俗音楽が生まれた現地の人の身体になること、少なくとも、その身体を想像することが必要不可欠だからです。
それをせずに歌うと、弱く、狭い歌声になってしまいますし、いわゆる日本人の伝統的な民俗音楽の歌い手で、本場に近い声を出している人が少ないのは、こういった理由だからです。
そもそも歌い手自体が少ないのは、とてもじゃないけどあんな声出せそうにもない、と思い、色々な理由をつけて、最初からチャレンジしない人がほとんどだからです。
現代の日本に住む私たちの身体と、伝統的な民俗音楽の現地の人たちの身体は、全く異なります。
たとえばホーミーの本場モンゴル。モンゴルの大草原は、知れば知るほど過酷な大地です。
モンゴル高原の大部分は、木が生えていません。木が生えないということは
・標高が高い土地なのに、風をよけるものが一切ありません
・土地が日光に近いのに、日を遮るものが一切ありません
・見晴らしが良い、ということは害獣や敵にも見つかりやすい
そもそもなぜ木が生えないかと言うと、かなりの乾燥地帯であることと、土壌が痩せているから、植物が生えにくいからです。
砂漠一歩手前の土地で、よくここに何万年も前から人が住んでいたなあ、と感心するほどです。
これでお分かりでしょう。こういう土地で生き延びてきた人の身体と、現代の日本に住む我々の身体が絶望的なほど違うということを。
現地の人の身体になる、そして、その身体を想像するには、身体への集中力が必要です。
だからこそ、いったん現代人の身体から離れ、現地の人たちの身体を想像し、それに近い経験を自分の身体の中から見つけ、その経験を元に、練習する必要があるのです。
これを頭のイメージだけでやろうとすると上手くいきません。
しかし、身体へ深く集中して、身体と頭のイメージを連動すると、上手くいきます。
身体に深く集中できると、心と身体がニュートラルな状態になります。
ニュートラルは、中立、ちょうど良いバランス、整っている、地に足がついている、自然な状態、淡々としているが深い集中、などと置き換えてもOKです。
そして、このニュートラル状態こそ、特殊発声のみならず、歌うときの理想的な状態です。
こういう状態にあるときは、声が良くなるだけでなく、お客さんなど、聴いている人の反応もめちゃくちゃ良くなります。
というのは、人はミラーニューロンによって相手の感情や状態を写し見るので、完全なニュートラルな状態は、聞き手をもそのような状態に誘いますし、
聞き手にとっては、演者がそんなニュートラルな状態にも関わらず、そんな状態でとても出せるとは思ってもいない、凄い声が聞けると、ガツーン!と、衝撃に近い感動を得るのです。
そしてこのニュートラルな状態こそが、現代人の身体から抜け出すための大きなポイントです。
とはいえ、ニュートラルな状態になるためには、身体への深い集中力が必要です。
でも、現代人の集中力は、金魚の9秒より少ない8秒、という研究結果があります。
実際、私たちが日常的に使っているスマホは、ピコーン!という通知音で、寝てる間でさえ、我々の集中力を奪おうとします。町に出れば、広告だらけです。
断言しますが、スマホ片手に、現地の人の身体になることは無理です。だって、スマホ片手に歌う伝統的な民俗音楽の現地のミュージシャンなんて見たことないですよね?
また、人前で演奏や、スピーチをしたことある人なら分かると思いますが、身体に集中して、ニュートラルな状態で淡々と演奏するのは結構難しいことです。
だって、不特定多数の人がいれば緊張するのは、動物としての正しい生理反応だし、反応しているものを無視するのは無理があるし、
人前で演奏したい、って言う人は、何かしらの欲があるから演奏する訳でそもそもの行動のキッカケの欲を無視することも難しいし、、
そもそも、声は、体の構造上、感情と密接に関わっているので、感情と切り離すのが難しい。
でも、歌の場合、歌っている自分をその場で調整しなければなりません。歌い終わったあとに調整しても、すでに遅し。これが歌の難しさであり、面白さでもありますが、
じゃあどうすれば良いんだ!
って感じですよね。
そして実は、具体的な練習方法はそんなにありません。
集中が足りない、そのうち慣れるよ、個人の資質の問題、という、解決方法にもならないアドバイスを言う人が多いのは、そういった理由からです。
身体への深い集中力は、瞑想で養うことができます。
瞑想は、自然な、作為的ではない脱力、いや脱力でさえない、自然な状態に心身を整えてくれます。
これが出来ると、2つのメリットがあります
1つは、上記の通り、聞いている人にもちゃんと声が届き、反応が良くなる、ということです。
もう1つは、発声が良くなるということ
先日、とある生徒さんが、レッスンでとにかく叫びたい!とリクエストされました笑。
そこで、喉を壊さずに叫ぶポイントをお伝えしました。
人は叫ぶと、どうしても気が上に上がります。気が上に上がっている状態で叫ぶと、下手すると一発で喉を枯らします。
なので、気を下げる事が重要になります。そこで、瞑想ワークをやりました。瞑想をやることで、気が勝手に下がります。
気が下がると、身体に集中しやすくなり、身体のポテンシャルが上がり、叫び声自体もよくなり、叫んでも喉が枯れにくくなります。
以上、特殊発声コーチの私が、瞑想を大事にしているのは、こういった理由からです。
現代人の集中力が短くなっていること以外にも、
瞑想の専門家の間では、日本で一般的な瞑想、座禅など、いわゆる”無念無想”の瞑想は、ハードルが高い、難しい、と言われています。
ですが、その一方、声を使う瞑想は、早く深い瞑想の境地に行きやすいと言われています。
実際やってみると分かりますが、所作や声を伴う瞑想は、ハードルが低く、初心者でも、深い瞑想に誘われます。
また、上記の瞑想の専門家たちは、次のようにも指摘しています。
それは、瞑想は指導者の元で、瞑想は集団でやるのがとても効果的だ、ということです
という訳で、瞑想実践会を企画しました。
この会に参加すると、、、
1.特殊発声は難しそう、難しいと感じている人は、
・本場に近い特殊発声を、時間を短縮して、習得することができます
・特殊発声を身につけると、そんな人はほとんどいないので、周りから一目おかれます
2.声が枯れやすい、と感じている人は
・身体への深い集中が基本的な声枯れ対策になることが分かります
・どんどん声を出したくなります。すると、チャンス増えます
3.何かやる時についつい力みすぎてしまう、という人は
・自然と肩の力を抜く方法がわかります
・特殊発声が快感!になります
4。ちゃんとした専門家から学びたい、という人は
・日本有数の特殊発声のプロが、瞑想のメッカ、インドの伝統的な瞑想の大家から直接学び、一緒に作り上げた方法を知ることができます
・瞑想や瞑想に基づく哲学を一生深めていくことができ、人生が豊かになることでしょう
5.特殊発声に興味ある知り合いにアドバイスしたい、という人は
・ほとんどの人が知らない具体的なポイントを伝えられます
・相手から感謝されるだけでなく、教えることは最大の学び。自分自身が成長し、良いお手本になれます
6.本番でちゃんと歌いたい、という人は
・緊張の対処法がわかり、緊張してもちゃんと声が出るようになります。本番に強くなります
・ちゃんとお客に声が届きファンが増え、関係者に重宝がられ声がかかりやすくなります
7.日常の忙しさで心が休まらない、という人は
・スッキリします。その体験ができることで、日常でも気づいた時に、好きなタイミングでスッキリすることができる
・スッキリした頭で、人生自体を俯瞰することで、忙しさの原因がわかり、より心休まる人生になります
日時;10月13日 木曜日 17時半〜20時半 3時間
場所;新宿区orZOOM
※会場詳細は申し込まれた方にお伝えします
企画・運営・講師;
徳久ウィリアム
瞑想監修;
中島 翠巖
内容;
1部:
瞑想レクチャー 〜安全に深い瞑想に入るための
・挨拶など
・瞑想に関するインドの考え方
・音を使う瞑想法の紹介と意義
・倍音声明レクチャー
・ホーミー(ホーメイ、倍音唱法)ミニレクチャー
・質疑応答
・瞑想に入りやすくするための2つのワーク
2部:
瞑想実践
倍音声明&”ホー瞑想”実践
・ホーメイ実演:徳久ウィリアム
3部:
・感想シェア
・終わりの挨拶やご案内
これらを知ることで、アナタは下記の長期的なメリットが得られます。
まずは、私の瞑想の師匠のプロフィールを紹介します
中島 翠巖(なかじま すいがん)
千葉県柏市の豊受稲荷本宮 元宮司 1934年生まれ
インドの連邦教育研究所の元教授Prof. Dr. Anil Vidyalankar と共に日本サンダハン(根源を探求する会) 主幹
共著 『サンダハンの入門サンスクリット』、『基本梵英和辞典』東方出版刊
一橋大学経済学部卒 NHK放送文化研究所研究員として出発。
醍醐寺三宝院 修験僧、平成元年 恵印加行を終え、伝法灌頂に入壇。
平成24年以降、宗派をこえて伊奈利山修験者として同志を募り、11月3日に火渡り修行を行う。大峰山、羽黒山には若者と共に登拝している。
その他、中島先生が関わった書籍
『クンダリニー』『ヨーガ・スートラ: パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付』『インド思想との出会い』
このように、中島先生は、瞑想のメッカ、インドの一流の大家からサンスクリットと瞑想を学び、ご自身も千葉県柏市に鎮座する神仏習合の稲荷神社『豊受稲荷本宮』に長年奉職され、様々な行事、修行、勉強会を司ってきました。
つまり、中島先生は、日本有数の、瞑想の理論と実践の大家なのです
オリジナルの瞑想、ホー瞑想が誕生した経緯
きっかけは、私が2019年3月に企画した「サンスクリット般若心経×ボイトレ」でのことです。
サンスクリット語の講師としてお呼びした中島先生の「サンスクリット般若心経」講義は、瞑想の本場インドの瞑想に関する考え方の解説など、内容が非常に多岐に渡り、しかも深く、実に素晴らしい内容でした。
で、その中島先生は、第二部のボイトレの部にも残られたんですが、その時は参加者が主にホーメイ※を練習していました。
※ホーメイ=中央アジア「トゥバ共和国」の伝統芸能。喉と口腔内の操作による「1度に二つの音が出る」と言われる独特の歌唱法が特徴。
そのホーメイを聞いた中島先生が一言。
「声を出す瞑想※というのがあるけど、それをホーメイでやると、違う味わいの瞑想が出来そうだなあ」
という訳で、「ホーメイを使った瞑想会」を企画したところ、大変素晴らしい内容になり、参加者の中には涙を流された方もいました(!)
そして、参加者からは、ぜひ定期開催して欲しい、という声も頂きましたし、中島先生からも、「ぜひあと3〜4回やりましょう!」と言って頂けました。
そこで、その後も不定期ながら何度も開催しています。
つまり、このイベントで指導している内容は、瞑想の大家が監修した、ちゃんとした、でもここでしか体験できないオリジナルの内容なのです
それを踏まえた上でのお値段のお話
瞑想をやることのメリット、しかも長期的なメリットは上記の通りです。
なので、出来るだけ多くの人に参加して欲しいという気持ちがありつつも、中島先生や、中島先生の師匠、さらには引き継がれてきた瞑想の知恵の伝統、私の経験した時間の長さとコストのことを考えると、安売りするのは違うとも思います。
その正統性、それゆえのメリットを考えると、5万円でも良いと思います
とはいえ、この値段がけっして安いとは言えないのも理解できます。そこで、特殊発声をちゃんと獲得したい人が一人でも多く参加できるよう、
定価を25000円とします。
さらには今回初めてやる内容もあるので、モニター価格として今回は特別に
15000円とします。
前に出した瞑想レクチャーワークショップの録画版の内容と同じですよね?という問い合わせがありました。
なので、
全然違います!
とお答えしました。
前回の録画版の瞑想イベントは、瞑想の専門家である中島先生に講師をお願いし、7割レクチャー、3割実践、という内容でした。
ですが今回は、私が講師として、レクチャー3割、実践7割の構成で行う予定です。
レクチャー内容も、中島先生の教えは、瞑想のルーツの説明がメインなのに対して、私のは、本番で自分の声のポテンシャルを十二分に発揮するための瞑想法をレクチャーします。
なので、録画版の内容を踏まえた上で参加されると、録画版の理解がより立体的に
なると思いますし、勿論、録画版を見ていなくても十分に役立つ内容になると思います。
つい先日、久々に声のスランプになりました。ある声のテクニックが出来なくなり、それがなかなか回復しない。正直、一生このままなのかと、ちょっと焦りました苦笑
こういう時に必要なのは、感情に振り回されず、喉の動きを俯瞰することでした。
発声のスランプの私に必要だったのは、私が私のお客さんに指導する時のように、自分を俯瞰して見る時間を作り、自分自身へのアドバイスを元に、淡々と改善の行動をこなすことでした。
でも自分のことって自分では気づきにくい。少しパニックになりました。
が、パニックになっていること自体に気づいた時が、スランプから脱出した第1歩でした。
◆
瞑想の目的は、自分の中にいる二匹目の鳥に気づくことだ、
とは瞑想の師匠の中島先生が教えてくれたことです。
二匹目の鳥とは、俯瞰して自分を見る目のことです。
瞑想をしていくことで、この俯瞰する目、
二匹目の鳥
をいつでも引き出せるようになると、
声を出す時だけでなく、いろいろな場面で、二匹目の鳥で、自分を俯瞰することができるようになります
二匹目の鳥で、自分を俯瞰できたおかげで、私はスランプから抜け出すことが出来ました。
◆
そして、俯瞰の力は、声だけでなく、人生にも良い影響を与えます。
豊かな人生を送る上では、定期的に、自分の痕跡を俯瞰してみることはとても有益です。
全ての答えは自分の中にある。必要なのは、適切な方法で、自分を省みる時間を作ることだ。
とは、インドの聖人が言った、私の大好きな言葉です。
あなたは二匹目の鳥を認識し、自分の人生を大事にしていますか?