伝統的な民俗音楽の特殊発声と切っても切れない関係のモノって何だと思いますか?それは”自然”との関係性です。その民俗音楽が育まれた自然との関係。この重要性は何となく想像つくと思います。
ではもう一つ質問です。
「最近、自然の中に行ってますか?」
行ってるよ、という方には追加でもう一つ質問です。
「自然の中で大声出してますか?」
何でこんな質問をしてるのかと言うと、こういった経験が乏しい、もしくはしばらくやっていないと、多くの場合、伝統的な民俗音楽の特殊発声の習得が難しくなるからです。
その理由とは、、、
伝統的な民俗音楽の特殊発声を研究し続けてると、自然と”昔の人の心と身体”について考えることになります。そして当然ながら、”昔の人の心と身体”と、”現代人の心と身体”との比較についても考えざるを得なくなります。
ところで”現代人の心と身体”を考える前に「現代人であることのメリット」ってなんだと思いますか?とても大事なポイントなので、ちょっと考えてみてください。
食・住む家・医療・社会システムが整って健康寿命が伸びたこと?
逆に、「現代人であることのデメリット」ってなんでしょう?
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18世紀後半の、産業革命以降、人類を取り巻く環境は、劇的に変化し続けています。産業革命以前の人類の生活と、現代とでは、もはや”違う種”と言ってもいいぐらい、生活が変化しています。皮肉なことに、健康寿命は伸びてますが、私たちの身体はこの急激な環境の変化に対応できていません。
その是非はともかくも、このような世界に生きていることを認識し、メリットは十分に享受し、そのデメリットには対応していきたいですよね?
伝統的な民俗芸能の特殊発声を本場っぽく習得するにあたって「必須の条件の一つ」って何だと思いますか?
現地の言葉?
これも大事ですが、もう一つの条件が重要です。
現地での体験?
うーん、かなり近い!ヒントは、日本でも出来る事です
◆
ホーメイや伝統的な民俗音楽の特殊発声は自然の中で育まれた、と書いたらもう分かりますよね?
そう、自然の体験です。
自然の中で声を出したこと無いのに、もしくはやった事があるとしてもそれは遠い昔のことで最近は全く、という場合において、そのような状態でどうやって、ホーメイなどの特殊発声を本場っぽく出来るでしょうか?
◆
私はしょっちゅう山登りしてるから、サーフィンしてるから大丈夫だね!と安心する事なかれ。”現代的な身体とココロ”で自然を体験しても、意味が無い、とまでは言いませんが、特殊発声の習得には、いまひとつ。
もしかしたら、私が大げさな事を言ってると思ってるかもしれませんね?
なぜ私がこんな事を主張するのか。それは私が10年前に参加したイベントで衝撃的な体験をしたからです。
その体験とは・・・
10年ほど前私は、国際的に活躍する演出家「小池博史」さんが当時主宰していた、若手のパフォーマー養成スクールの夏合宿に、講師として呼ばれました。それは、携帯の電波も入らない、長野県の山奥が会場でした。
ただ正直いうと、当時、私は自然がとても苦手でした。
ブラジルはサンパウロで生まれ、その後、ロサンゼルス、香港、東京、と世界に名だたる大都市で育ち、また、両親もインドア派だったことも影響し、自然が多過ぎると落ち着かないという状態でした笑
なので、果たして大自然に適応できるのか、一抹の不安はありましたが、尊敬する小池博史さんの依頼ということで引き受けました。でもそこでの体験が、私の自然観を180度変えたのです
◆
小池博史さんが編み出したワークに、「スロー」という、大変秀逸なワークがあります。
これは、地面に寝転がった状態からゆーっくり立ち上がり、指定された場所まで、ゆーっくり移動する、という、実に単純なワークです。
ただし、この「ゆーっくり」が、尋常じゃない「ゆーっくりさ」を求められるということと、
このワークを、屋内ではなく、屋外で行うと、ものすごい変化が、若手の、大して技術も経験も気合もない、パフォーマー達に生じたのです。
[[img w=350]]https://pbs.twimg.com/media/F85O0qzbIAA6MbZ?format=jpg&name=large[[/img]]
◆
人間にはとても便利な、それゆえにとても厄介な機能があります。それは「慣れてしまう」という機能です
「慣れ」が発動すると、
見ているようで見ておらず、
聞いているようで聞いておらず、
嗅いでいるようで嗅いでおらず、
味わっているようで味わっておらず、
感じているようで感じていないのです
山登りなどの自然体験が豊富なだけでもダメだ、という指摘は、この「慣れ」故です。
小池さん発案の「スロー」は、その「慣れ」を破壊するワークで、それ故に秀逸なのです。
◆
このワークのお陰で、私は、自然って本当に凄いんだ、人間にとって本当に重要なんだと気づくことが出来ました。
だって、若手の、大して技術も経験も気合もないパフォーマー達の、動きや表情や表現力全体が、日に日に、どんどん良くなっていくのです。
これが都会の屋内だったら、ここまでの劇的な変化は起きません。
外の自然と、人間の身体という2つの自然が呼応したからこその劇的な変化でした。
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とはいえ、山の中に行くのはなかなか大変ですし、山の中で安全に「スロー」を出来る場所を探すのも大変です。
ただ、私は気づいたのです。山に比べればアクセスしやすい大自然と、スローに変わるワークを。
の前にもう一つ。
「右脳で描け」という世界的なベストセラー本を知ってますか?
これは、アメリカ人の小学校の美術教師が、絵が上手い子とそうでない子の違いを、脳科学を学び、それを現場で検証し、その結果を、誰でも絵が上手になる方法としてまとめた本です。
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日本で、この本の理論、ワークをベースにしたワークショップを主宰する団体があり、私の知り合いや生徒さんが何人か参加していますが、全員が「絵が上手くなった」と、人によってはその実物を見せてくれました。
何よりもいいな、と思うのは、このワークショップに参加することで、その生徒さんたちの生活の中に、絵を描く習慣がもたらされた事です。
◆
本「右脳で描け」に書かれた方法を私も実際に試したことがありますが、そのやり方、思想は大変シンプルで驚かされます。
それは、「徹底的にちゃんと見る」という事です。
なので、この本で紹介されているワークは、”ちゃんと見ざるを得ない”方法を多数、段階を踏みながら用意してくれています。
この経験を通して、私たちは普段、いかに惰性で五感を活用しているかを理解出来ました。
◆
発声もそうです。多くの人が、お手本をちゃんと聞いていない聞くという行為は、身体で行うものですが、多くの人が、”概念”として聞いてます。
なんとなく聞いてるつもりになって、身体で聞いていないのです。
発声は身体の行為で、特定のジャンルの声を出したかったら、身体で聞く必要があります。
でも、身体で聞いていないので、ちゃんと発声もできない。
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上記の演出家の小池博史さんの「スロー」というワークは、この「ちゃんと聞く」を含め「五感でちゃんと感じる」を呼び起こす素晴らしいワークです。
そして、このスローは、大自然の中でやるのがベスト。というのも前回書いた通りです
そうすると、ちゃんと、自然を五感で感じられるようになる。これが出来るようになると、自然と切っても切り離せない、密接な関係を持つ、伝統的民俗音楽の特殊発声を練習する際、非常に大きな助けとなります。
具体的には、より”本場っぽく”なるのです。
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さて、山に比べればアクセスしやすい大自然と、スローに変わるワークについてです
山に比べればアクセスしやすい大自然は、”海”です。
効果的に自然を感じるための”スローワーク”に代わるワークは「観法」です。
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藤沢に越して、海が近くなり、何度か海辺で発声指導して気づいたんですが海辺は発声指導にめちゃくちゃ向いています
まずは(山に比べれば)軽装で行けること。
また、海水浴場になっている浜辺は、アクセスが良く、電車やバスに乗ればたどり着きます。
山頂まで、ひと気の無い場所まで徒歩で、、、なんてことがありません。
なのに、大海原は大自然。手付かずの、というよりかは、人間が手を出すのにも限界がある大自然。
海辺は多少は手が出せますが、海そのものはアンタッチャブル。
虫が少ないのも、都会っ子の私には大きなポイントです笑
そして何よりも、大声出しても誰も気にしません。
もちろん、時間や場所や、声の種類にもよりますが。
「やっほー」「おーい」というような声であれば、海に向かって出せば、どんなに大声でも”誰も”気にしません。
なぜなら、声を反射するものは一切なく、声が海の上の空間に吸い込まれ、また、海の音、風の音が声の痕跡を掻き消してしまうからです。
声を出している生徒さんがそのことに気づくと、ノンストップで声を出し続けます。
だって、大自然の中で、誰の目もきにすることなく大声を出すことってめちゃくちゃ気持ち良いからです。
たぶん、日常生活を営む上で眠らせてきた動物的なところ、子供のようなところが急に目覚めるからなんだと思います。
本来発揮すべきもの、でも普段殺していたものを思う存分発揮したら、そりゃあ気持ち良いのは当たり前です
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次は、効果的に自然を感じるための”スローワーク”に代わるワークとしての「観法」について説明します
今日、”呼吸筋ストレッチ”の浅井先生と、呼吸筋ストレッチ第3弾についてのMTGを行いました。
先月9月に行った第2弾3時間verの中で、参加者から、今日は身体がいい感じに解れたけれど、日常で元の固い身体に戻ってしまう、
と言う声があったので、それを解決させるための内容としての第3弾について意見交換をしたのでした
せっかくマッサージに行ったのに、せっかく鍼灸接骨院に行ったのに、日常生活を送ると、また戻っちゃう。こういう事ってアナタにもありますよね?
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この記事の中で、伝統的民俗音楽の特殊発声の習得には、再三、自然に触れる事、触れる時も、しっかりと自然を感じる事がとても大事だ、と伝えてきました。
そして、そのワークとしては、”スローワーク”というワークが非常に効果的だという事も。それは、10数年前に、私が仕事で行った、山奥での合宿での経験の影響が大きい事も書きました。
ですが、これには後日談があります。
たしかに、山奥の合宿で、”スローワーク”を何度も行うと、実力も経験もあまり無い若手のパフォーマーが見違えるように良くなっていきました。それは自然が与えてくれた”ミラクル”でした。ただ、東京に戻って、いつもの生活に戻ると、その”ミラクル”が消えるのです。若手のパフォーマーたちは、また元の実力と経験の無いパフォーマーに戻ったのでした。
ただ、それを見ると同時に、元に戻るのを回避する方法も私は知っている、と確信したのでした。それが「観法」です。では「観法」とは何か?
大自然と人との関係から生まれた伝統的な民俗音楽の特殊発声。
その習得には、自然体験が必須で、それも単なる森林浴程度のものではなく、がっつりと自然を感じるようなワークが必要不可欠。
だけれども、都会に戻ると、せっかくの自然体験で良い状態になったココロも身体も、すっかり元の状態に戻ってしまう。
それを防ぐための方法が「観法」ということを前回に書きました。
今回は、「観法」のやり方について説明します。
それにはまず、基礎的な3段階があります。
0。目を瞑り、胸の前で合掌する
1。合掌の手に”意識”を向ける
2。合掌の手を”感覚”する
a.左手の掌で右手を感覚する
b.右手の掌で左手を感覚する
c.左手の掌で、左手の掌を感覚する
d.右手の掌で、右手の掌を感覚する
3。合掌の手に”気を集注させる”
a.左手の掌に気を集注させる
b.左手の掌に集めた気を右手の掌に移す
以上です。
それぞれの段階を、かなり丁寧にやるのがコツです。
ただ、このテキストの説明だけでは雲を掴む感じで良く分からないと思います。
というか、自然体験した後に都会に戻ってこんなことで、自然体験の良い状態が
維持できるの?と思うかもしれませんね。
正直、私もなぜこれがこんなに効くのか、うまく説明できません。でも、効くからやる。他にこれ以上の方法がない。
だからコエダイでは、観法を基礎ワークとして取り入れています
そして、体験した人はみな口を揃えて、観法が効く。本番で活用できる。と感想を言うのです。
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こんな、伝統的民俗音楽の特殊発声習得に必要不可欠な、「自然体験と観法」をセットにした合宿イベントを現在企画中です。